「全体の奉仕者」はやはり幻想か
(データマックスさんインタビューより)
―市長からする理想の、あるべき市役所・市職員像とはどのようなものですか。
竹原: 私が目指しているのは社会であって、役所が存在することではありません。
社会そのものがお互いを支えあう、慈しみあう社会になることを目標にしています。
あらゆる組織というものは、そのための一時的な道具でしかありません。
社会全体のための道具である役所を私的な手段にして、自分たちの利益を図ってはいけないのです。
今の役所は、社会のあるべき姿を芯に置いていないのです。
道理や、人間の社会のあり方を広い視点で見ていかなければなりません。
役人や政治家が利益を得る特権階級になってはいけないのです。
**************************************************************************
「あらゆる組織というものは、互いを支えあう、慈しみあう社会を築くための一時的な道具にすぎない」
このシンプルな考え方に、本質的なところで異を唱える者はいないだろう。
また、権力・権限というものも、そのような理想の社会を目指すためにこそ必要とされているはずである。
人類にとって「法」という規範が必要ならば、法律も慈しみあう社会全体に向かうためのモノサシであり、
一部の者が自分たちのために都合よく使うなど、あっていいはずがない。
私自身、今回の懲戒免職という処分を最初に聞いたときは、「さすがにやりすぎでは・・」という心情に駆られたのも事実だ。
それは前後の状況を細かく把握できず、感覚的に反応しただけの事である。今思うと何の根拠もない軽い反応である。
わが国の憲法では、公務員を「全体の奉仕者であり、一部の奉仕者であってはならない」と位置づけている。
そして市長には、地域全体に奉仕するための組織を統括・代表し、また、事務を管理し執行する権限や
全体の奉仕者たる職員を指揮監督するための任命権が市民より付与されている。
今回の竹原市長の抗告理由書では、当該職員(元係長)や職員組織は、全体の奉仕者どころか、
何をやっても許される無秩序な状態にある事がよく分かる。
改革を託された市長の方針を「公に」真っ向から妨害する非行を鹿児島地裁はどのように判断しているのか?
労働者としての人権や生存権ばかりを主張する組合(弁護士)の声に圧されているのか、
市長が今回判断した理由が「どのように不当」なのか?は全く聞こえてこない。
現場の長である市長の権限を軽視し、その判断を「ないがしろ」にすることこそ、民主主義に反するのではないか?
そうなれば、所詮司法なんてそんなもの、市長の権限なんてそんなものとばかり、
本来の行政組織体系はさらに崩れ、職員(組合)や議員による市政の私物化にあらゆる局面で拍車がかかるのは必至だろう。
竹原市長は言っている。
「公務員は全体の奉仕者である。」憲法に書かれたこの言葉は美しく、とても善いものに見える。
だからこそ疑わなければならなかった。真実から目を逸らし、ありえないことを信じて、
悪から逃げ出してしまった弱さが日本を今の状態にさせてきた。
まさに、その通り・・ということになってしまうだろう。
「社会通念上、不当だ」という曖昧な言葉を判決の根拠とできるほど、簡単な問題ではない。
―市長からする理想の、あるべき市役所・市職員像とはどのようなものですか。
竹原: 私が目指しているのは社会であって、役所が存在することではありません。
社会そのものがお互いを支えあう、慈しみあう社会になることを目標にしています。
あらゆる組織というものは、そのための一時的な道具でしかありません。
社会全体のための道具である役所を私的な手段にして、自分たちの利益を図ってはいけないのです。
今の役所は、社会のあるべき姿を芯に置いていないのです。
道理や、人間の社会のあり方を広い視点で見ていかなければなりません。
役人や政治家が利益を得る特権階級になってはいけないのです。
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「あらゆる組織というものは、互いを支えあう、慈しみあう社会を築くための一時的な道具にすぎない」
このシンプルな考え方に、本質的なところで異を唱える者はいないだろう。
また、権力・権限というものも、そのような理想の社会を目指すためにこそ必要とされているはずである。
人類にとって「法」という規範が必要ならば、法律も慈しみあう社会全体に向かうためのモノサシであり、
一部の者が自分たちのために都合よく使うなど、あっていいはずがない。
私自身、今回の懲戒免職という処分を最初に聞いたときは、「さすがにやりすぎでは・・」という心情に駆られたのも事実だ。
それは前後の状況を細かく把握できず、感覚的に反応しただけの事である。今思うと何の根拠もない軽い反応である。
わが国の憲法では、公務員を「全体の奉仕者であり、一部の奉仕者であってはならない」と位置づけている。
そして市長には、地域全体に奉仕するための組織を統括・代表し、また、事務を管理し執行する権限や
全体の奉仕者たる職員を指揮監督するための任命権が市民より付与されている。
今回の竹原市長の抗告理由書では、当該職員(元係長)や職員組織は、全体の奉仕者どころか、
何をやっても許される無秩序な状態にある事がよく分かる。
改革を託された市長の方針を「公に」真っ向から妨害する非行を鹿児島地裁はどのように判断しているのか?
労働者としての人権や生存権ばかりを主張する組合(弁護士)の声に圧されているのか、
市長が今回判断した理由が「どのように不当」なのか?は全く聞こえてこない。
現場の長である市長の権限を軽視し、その判断を「ないがしろ」にすることこそ、民主主義に反するのではないか?
そうなれば、所詮司法なんてそんなもの、市長の権限なんてそんなものとばかり、
本来の行政組織体系はさらに崩れ、職員(組合)や議員による市政の私物化にあらゆる局面で拍車がかかるのは必至だろう。
竹原市長は言っている。
「公務員は全体の奉仕者である。」憲法に書かれたこの言葉は美しく、とても善いものに見える。
だからこそ疑わなければならなかった。真実から目を逸らし、ありえないことを信じて、
悪から逃げ出してしまった弱さが日本を今の状態にさせてきた。
まさに、その通り・・ということになってしまうだろう。
「社会通念上、不当だ」という曖昧な言葉を判決の根拠とできるほど、簡単な問題ではない。
ワクチンてどうよ
市長のブログではインフルエンザ騒動に関する記事が続いている。
おそらく、もっと早くから突っ込んでおきたい話題ではなかったかと邪推している。
やはり行政の長として堪えていたのだろうか・・。それでも内容的にはまだまだ遠慮がちに見えるが。
ともかく、新型インフルウィルスの起源、毒性、ワクチンの効果については、
様々な見解が交錯している。
「早くワクチンを供給しろ!!恐ろしくて仕方ない」から
「ワクチンなんてとんでもない、どうぞどうぞお先に」まで。(私は<もちろん>限りなく後者に近い)
政府・行政広報、マスコミの情報を盲信している人からすると、ワクチンを拒否でもしようものなら、
ん?何かの宗教?と言われてもしかたない。 はい、竹原教です。 とでも返しておこう(笑)
逆に、後者からすればワクチン信者もなんら宗教と変わることがない。
そういう意味では双方が互いに攻めあう必要もないだろう。自由である。
最近では、身近な人が4人、新型インフルエンザに感染した。
(といっても、「A型判定」がでただけで、新型だろうという診断)
しかも4人とも3〜4日で回復しているし、季節性のインフルエンザよりも軽いと言っている。
ワクチンを打つ必要が本当にあるのだろうか。(直接うつされた方がよくない?)
徐々に過剰報道との違和感を感じている人も少なくないだろう。
人間がそもそも持っている自然免疫、獲得免疫のプロセスは鼻やのど、あるいは腸の粘膜で感知し、
起動するようになっているらしい。
そのため、体を守る免疫細胞の約80%はこれらの部位に集中しているとも言われている。
粘膜にある防衛軍を通り越して体内に入ることなどはなかなかできない事なのだ。
ワクチンはそうした本来の自然のプロセスを一切無視し、直接血液に毒をいれてしまう。
弱毒化しているため、血中抗体の強度も限りなく弱いと、あるドクターからも実際に聞いた。
しかもウィルスは常に変化するので、型が違えばほとんど意味はない。
また、血液に一気に流れ込むのはウィルスだけではない。
ホルムアルデヒド、界面活性剤、水銀の一種であるチメロサールなどの毒性物質が添加されているのだ。
逆に慢性的に免疫力は落ち、あらゆる副作用や異常反応が出るのも頷ける。
いずれにしても自己責任。どっちにしても宗教(笑)。盲信はよくない。
打っていたほうがいいかも知れないし、そうではないかも知れない。
冷静に判断すべきであろう。
参考: 新型インフルエンザワクチン徹底解剖
http://www.geocities.jp/monitor_to_fix/flu2.html
おそらく、もっと早くから突っ込んでおきたい話題ではなかったかと邪推している。
やはり行政の長として堪えていたのだろうか・・。それでも内容的にはまだまだ遠慮がちに見えるが。
ともかく、新型インフルウィルスの起源、毒性、ワクチンの効果については、
様々な見解が交錯している。
「早くワクチンを供給しろ!!恐ろしくて仕方ない」から
「ワクチンなんてとんでもない、どうぞどうぞお先に」まで。(私は<もちろん>限りなく後者に近い)
政府・行政広報、マスコミの情報を盲信している人からすると、ワクチンを拒否でもしようものなら、
ん?何かの宗教?と言われてもしかたない。 はい、竹原教です。 とでも返しておこう(笑)
逆に、後者からすればワクチン信者もなんら宗教と変わることがない。
そういう意味では双方が互いに攻めあう必要もないだろう。自由である。
最近では、身近な人が4人、新型インフルエンザに感染した。
(といっても、「A型判定」がでただけで、新型だろうという診断)
しかも4人とも3〜4日で回復しているし、季節性のインフルエンザよりも軽いと言っている。
ワクチンを打つ必要が本当にあるのだろうか。(直接うつされた方がよくない?)
徐々に過剰報道との違和感を感じている人も少なくないだろう。
人間がそもそも持っている自然免疫、獲得免疫のプロセスは鼻やのど、あるいは腸の粘膜で感知し、
起動するようになっているらしい。
そのため、体を守る免疫細胞の約80%はこれらの部位に集中しているとも言われている。
粘膜にある防衛軍を通り越して体内に入ることなどはなかなかできない事なのだ。
ワクチンはそうした本来の自然のプロセスを一切無視し、直接血液に毒をいれてしまう。
弱毒化しているため、血中抗体の強度も限りなく弱いと、あるドクターからも実際に聞いた。
しかもウィルスは常に変化するので、型が違えばほとんど意味はない。
また、血液に一気に流れ込むのはウィルスだけではない。
ホルムアルデヒド、界面活性剤、水銀の一種であるチメロサールなどの毒性物質が添加されているのだ。
逆に慢性的に免疫力は落ち、あらゆる副作用や異常反応が出るのも頷ける。
いずれにしても自己責任。どっちにしても宗教(笑)。盲信はよくない。
打っていたほうがいいかも知れないし、そうではないかも知れない。
冷静に判断すべきであろう。
参考: 新型インフルエンザワクチン徹底解剖
http://www.geocities.jp/monitor_to_fix/flu2.html
祝?裁判完敗
〜2009/10/24付 西日本新聞朝刊より〜
■竹原市長一問一答 「損をするのは市民」
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は23日、市職労事務所訴訟の敗訴後と、元係長懲戒免職訴訟に出廷した後、
取材に応じ、鹿児島地裁前や阿久根市役所で、裁判所や市職労への批判、市政運営に関する持論を繰り返した。
一問一答は次の通り。
‐市職労事務所訴訟の敗訴をどう受け止めるか。
「ああ、そうですかと言うしかない。裁判所は市民の財産を守るとか、社会的道義とかのレベルで判断する機関ではなく、
予想どおりの判決だった。裁判所が正義の通らない場所だということを市民が知るいい機会になった。控訴はこれから考える」
‐判決は、訴訟費用を市が負担するよう命じている。
「泥棒が追い銭を取るようなもの。損をするのは市民だ。市職労事務所に市役所から出て行ってもらうとの考えに変わりはない」
‐21日には、元係長懲戒免職訴訟をめぐる効力停止申し立てで、鹿児島地裁が元係長の主張を認めた。
「裁判所は(市職労が加盟する)自治労や市職員に利用されている。
裁判所がすべての善しあしを決めるのなら、自治も政治家もいらない」
‐元係長の懲戒免職はやりすぎとの声もある。
「元係長は、今でも間違っていない、張り紙を張った方がおかしいと主張している。
放置すれば、選挙で選ばれた市長が権力を持っていないという状況に陥る。これはまずい。
個人としてみればかわいそうだが、社会の仕組みの問題として、正す必要がある。どこまでも争う」
‐元係長を職場に戻すのか。
「まだ何も考えていないが、戻せと言われても戻す場所はない」
‐弁護士が付かない裁判が続くが、きつくはないか。
「暗中模索だ」
*****************************************************************
そろそろ更新を・・と考えていたところに
祝!裁判完敗(^^)/▽☆▽\(^^)
そろそろ言い訳をどうぞ!
というコメントが入った。(この絵文字は乾杯かな? うまい!)
各裁判の敗訴にヒステリックに反応する記事をお待ちのようだ。
だが、予想通りの結果だし、職労事務所の退去問題も、懲戒免職問題も今まで書いてきた感覚と変わりはなく、
特に目新しい見解もない。上記一問一答での赤文字の部分に共感しているといったところだろうか。
裁判所に正義が「全く無い」とは思わない。だが「絶対的正義」でもない。
実際に首を傾げてしまう不当判決などはいくらでもある。
特に民事訴訟などの多くは最初から「結論ありき」で、先に金銭的な配分を決めてしまってから、
それに見合うように法律的文章を作るのが判決だと、多くの司法関係者も漏らしている。
屁理屈こねた訳のわからない判決文が多いのも頷ける。
そもそも市長が、「司法の場をうまく利用して」、改革の駒を進めようと考えているのなら、
この流れはある意味お粗末と言わざるを得ない。
しかし市長にしてみれば、起こることや目の前にある問題を自分の考える「市民全体の基準」に従い、淡々とすすめているだけなのだろう。
いちいち、こうしたら司法はどう判断するだろうか、一般世間(常識)はどう見るだろうか・・
などと勘繰る世渡り上手な首長ではない。(最初から非常識人なのだ)
個人的には、これまでの前例と照らし合わせただけ(?)の勝ち負けよりも判決理由を細かく見てみたい。
選挙で選ばれた市長の任命権・人事権限がどこまで尊重されるのか、されないのか?
公務員法にも定義される「公務員の資質」や、市長の指揮・方針に頭から抵抗した行為についてどのように判断したのか?
長期欠勤や贈収賄、横領とはどういう部分でどの程度違うのか?
各報道では職員や組合が勝利に歓び、さらなる闘い(職労事務所問題など)に意欲を見せているそうだ。
裁判とは直接的には関係ないが、阿久根のこれまでを見る限りでは職員組合(及び自治労)と多数派議員が結託(?)し、
長い間市民の税金をないがしろにし、格差を助長させてきた。
公務員も同じ「労働者」であるとはいえ、このご時世、この状況下で、
「自分たちの為の」これ以上の要求や主張がどこまで認められるのか、逆に見物でもある。
闘っている相手は市民(すべてではないにしても)だという認識はあるのだろうか。
今回の司法判断に「男性はこのままでは生活できない」が大きな理由になっているという。
このままでは竹原改革を心から支持している本当の生活弱者は救われない・・。
行政や議会のあり方を市民の覚醒とともに根底から変えたいという改革であるはずだ。
そういう意味では十分価値のあるプロセスだと感じる。
弁護士も不在のまま、一人で市長は闘っているが、「自分の為に」闘っているのではない。
少なくとも私にはそう映っている。
■竹原市長一問一答 「損をするのは市民」
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は23日、市職労事務所訴訟の敗訴後と、元係長懲戒免職訴訟に出廷した後、
取材に応じ、鹿児島地裁前や阿久根市役所で、裁判所や市職労への批判、市政運営に関する持論を繰り返した。
一問一答は次の通り。
‐市職労事務所訴訟の敗訴をどう受け止めるか。
「ああ、そうですかと言うしかない。裁判所は市民の財産を守るとか、社会的道義とかのレベルで判断する機関ではなく、
予想どおりの判決だった。裁判所が正義の通らない場所だということを市民が知るいい機会になった。控訴はこれから考える」
‐判決は、訴訟費用を市が負担するよう命じている。
「泥棒が追い銭を取るようなもの。損をするのは市民だ。市職労事務所に市役所から出て行ってもらうとの考えに変わりはない」
‐21日には、元係長懲戒免職訴訟をめぐる効力停止申し立てで、鹿児島地裁が元係長の主張を認めた。
「裁判所は(市職労が加盟する)自治労や市職員に利用されている。
裁判所がすべての善しあしを決めるのなら、自治も政治家もいらない」
‐元係長の懲戒免職はやりすぎとの声もある。
「元係長は、今でも間違っていない、張り紙を張った方がおかしいと主張している。
放置すれば、選挙で選ばれた市長が権力を持っていないという状況に陥る。これはまずい。
個人としてみればかわいそうだが、社会の仕組みの問題として、正す必要がある。どこまでも争う」
‐元係長を職場に戻すのか。
「まだ何も考えていないが、戻せと言われても戻す場所はない」
‐弁護士が付かない裁判が続くが、きつくはないか。
「暗中模索だ」
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そろそろ更新を・・と考えていたところに
祝!裁判完敗(^^)/▽☆▽\(^^)
そろそろ言い訳をどうぞ!
というコメントが入った。(この絵文字は乾杯かな? うまい!)
各裁判の敗訴にヒステリックに反応する記事をお待ちのようだ。
だが、予想通りの結果だし、職労事務所の退去問題も、懲戒免職問題も今まで書いてきた感覚と変わりはなく、
特に目新しい見解もない。上記一問一答での赤文字の部分に共感しているといったところだろうか。
裁判所に正義が「全く無い」とは思わない。だが「絶対的正義」でもない。
実際に首を傾げてしまう不当判決などはいくらでもある。
特に民事訴訟などの多くは最初から「結論ありき」で、先に金銭的な配分を決めてしまってから、
それに見合うように法律的文章を作るのが判決だと、多くの司法関係者も漏らしている。
屁理屈こねた訳のわからない判決文が多いのも頷ける。
そもそも市長が、「司法の場をうまく利用して」、改革の駒を進めようと考えているのなら、
この流れはある意味お粗末と言わざるを得ない。
しかし市長にしてみれば、起こることや目の前にある問題を自分の考える「市民全体の基準」に従い、淡々とすすめているだけなのだろう。
いちいち、こうしたら司法はどう判断するだろうか、一般世間(常識)はどう見るだろうか・・
などと勘繰る世渡り上手な首長ではない。(最初から非常識人なのだ)
個人的には、これまでの前例と照らし合わせただけ(?)の勝ち負けよりも判決理由を細かく見てみたい。
選挙で選ばれた市長の任命権・人事権限がどこまで尊重されるのか、されないのか?
公務員法にも定義される「公務員の資質」や、市長の指揮・方針に頭から抵抗した行為についてどのように判断したのか?
長期欠勤や贈収賄、横領とはどういう部分でどの程度違うのか?
各報道では職員や組合が勝利に歓び、さらなる闘い(職労事務所問題など)に意欲を見せているそうだ。
裁判とは直接的には関係ないが、阿久根のこれまでを見る限りでは職員組合(及び自治労)と多数派議員が結託(?)し、
長い間市民の税金をないがしろにし、格差を助長させてきた。
公務員も同じ「労働者」であるとはいえ、このご時世、この状況下で、
「自分たちの為の」これ以上の要求や主張がどこまで認められるのか、逆に見物でもある。
闘っている相手は市民(すべてではないにしても)だという認識はあるのだろうか。
今回の司法判断に「男性はこのままでは生活できない」が大きな理由になっているという。
このままでは竹原改革を心から支持している本当の生活弱者は救われない・・。
行政や議会のあり方を市民の覚醒とともに根底から変えたいという改革であるはずだ。
そういう意味では十分価値のあるプロセスだと感じる。
弁護士も不在のまま、一人で市長は闘っているが、「自分の為に」闘っているのではない。
少なくとも私にはそう映っている。
ブログ規制条例
さて桐生市議会。
庭山議員や星野議員のブログによれば、「政治倫理条例」の制定が本格的に進もうとしている。
星野議員はあくまで個人的見解としながらも、今回の趣旨(多数派議員の意向)は
『ブログという手段をもって「桐生市の事、我々議員の事」を何でも公開されてはたまったものでない。
無会派の「庭山議員と星野のブログ」を規制できないものか?』 という事ではないかと危惧されている。
私もまさしくその通りだと思う。これまでの動きもすべてリンクしている。
政治倫理条例とは各地方自治体でやや内容が違うものの、本来の趣旨は
政治家や公務員の汚職・不正、あるいは犯罪を防止するためで、市民や議員どうしがチェックしやすいように
ガラス張りの市政、情報公開を目的とするものである。
しかし、内容が不十分な自治体が多いため、本来の趣旨を訴え、政治の浄化を後押しする市民グループも存在している。
政治倫理九州ネットワーク:http://www.seirin.gr.jp/ など
この団体の主張をみても、政治倫理条例 =情報公開といっても過言ではない。
むしろ、条例や規則の問題ではなく、市民の代表代理人としてのあたりまえの「資質の問題」であるだろう。
憲法でも保証されている言論の自由の中で、政治家個人が議会の状況、感想、自分の考えをWEB日記に綴ることをどうやって規制するのだろうか・・
もちろん本人の主観で書かれることは当然だが、見る側(市民)もそれを踏まえて受け取り、発信者自身も評価の対象となるのだ。
万が一、嘘や事実無根の誹謗があれば、正々堂々と名誉毀損で訴えることもできるだろう。それもまた市民への情報公開へと通じていく。
これまでのブログでの情報公開に関し、「名前を出された相手の気持ちを思いやり尊重すべきだ」
「倫理条例とは名誉や常識のことで、公平、公正にするため、条例化すべき」
などという意見が出ていると聞くが、近藤議員の死を庭山議員のせいだと一気にまくし立てるような一部の議員の行為はどう説明するのだろうか。
無会派議員の資料請求には応じない、、議会はボイコットする、議会途中も退席する、
おまけに今回の政治倫理条例案の骨子ともなる資料すら、星野・庭山議員には配られないという。
何を書かれているのか最後まで分からなかったそうだ。
二人とも正式に市民からの負託をうけた議員である。
このような議会のどこに思いやりや尊重があるというのか。公平、公正があるというのか。
倫理てなに〜??
どのような流れで 政治倫理条例=ブログ規制 となるのか大いに注目すべきである。
次回は委員会は21日10時。(星野議員は“たまたま”他の委員会で不在のタイミングである)
この二人の情報公開を止めてはいけない。
参考 : 星野利定日記 http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=543652&log=20091014
「本当に」本当のことを知らせてほしい
BBS(掲示板)の方では、阿久根市職員組合が以前各世帯へ配布した
チラシ(本当のところを知ってほしい)の再検証スレッドが立っているので、再度読んでみた。
(さつま通信さん、アップありがとうございます。)
http://ossanndream.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3753230 全文はスレッドをご覧頂きたい。
ひと言でいえば、「誤解している人も多いようだが、私たちは(自ら率先して)これまで改革してきた」
ということだろうか。
同時に、竹原市長はウソつきで、その言動・行動に困惑している・理解できないというニュアンスを織り交ぜてある。
配布の時期がちょうど前回の市長選挙前ということもあり、組織ぐるみの選挙運動・応援ではないかとの指摘も頷ける。
何より、これだけの事を率先して改善してまいりました、、というその内容は、
総務省のガイドラインにある行財政改革の指針に、いわば「逃れられず」、
しかも形式的に従ったものが殆どではないだろうか。
私の市でも似たような取組みがあるし、ネット上で「○○市 行財政改革」で検索すると
ほぼ全国で足並みを揃えた動きがあることが分かる。
そのような動きはもちろん市民にとっても大切な事だし、なんら批判するものではないが、
そのような右へならえ的状況の中、給与数%削減を1年、2年実施しました!という申し訳程度の内容を
ここぞとばかりPRし、「なぜなら私たち職員も市民の皆様と同じように,阿久根市の明るい未来の創造を目指しているからです。」
と果たして堂々と本音でいえるのか???
その改善の効果や職員の気概をどれだけの住民が肌で感じているのだろう。
本当のところを知ってほしい・・との事だが、逆に「さらに」本当のところを説明てほしい・・と思う事が山ほど出てくるではないか。
市長のブログに出ていた総務事務次官からの通達(平成17年3月29日付)
「地方公共団体における行政改革の推進のための新たな指針の策定について」を握り潰したのは誰なのか?(議員も誰も知らなかった?)
その中身をみれば、驚くほど竹原市長が考える方向性とほぼ同じものである。
ということは道理的にも当たり前の内容なのだ。以下の通りである。(青字が通達文面。)
行政に携わる者は、国民の貴い負担により給与を得ているということを改めて肝に銘じる必要がある。
1、住民の納得と支持が得られるよう、給与制度・運用・水準の適正化を強力に推進すること。
(強力に推進どころか、強烈に反対ではないか)
2、昇給停止年齢を国と同様に原則55歳に引き下げる
それまで停止していた55歳以上の昇給をなんと解除!理由は「職員にもやる気を起こしてもらうため」・・笑
3、退職時の特例昇給についても廃止
4、不適正な給与制度・運用の是正
5、退職手当の支給率の引き下げ
1年かけて通達とは反対の事を計画し鹿児島県退職手当組合に「うその説明」をし加入。
組合の規約と言う事で10%〜73%の新しい勧奨退職制度取り入れ議会にかけず説明もせず支給した後で発覚」
「うそ」も議会の与党議員の数の原理で押し切った。
6、諸手当の早急な見直し いまだにお手盛り。
7、技能労務職の給与について民間との均衡を留意する
民間との均衡のまえに、近隣の市よりも高いとか
8、住民への説明責任を果たす
ウーン・・
9、地域の民間給与の状況をより的確に反映し決定できるよう、職員給与と民間給与の比較方法等を充実させるなど
地域における公民格差をより一層正確に算定できるように取り組むこと。
行政で積極的なのは市長のみ・・
10、公表は、住民が理解しやすいような工夫を講じること。
窓口での張り紙(各課人件費)でさえ、剥がされる。
議会
1、議員の定数や報酬に対する批判に留意し、住民に対する説明責任を果たす事
2、執行機関に対する監視機能を高め、住民の意見を把握・集約反映させるための取り組みを積極的におこなうべきこと
簡素で効率的・効果的な地方行政体制の整備については、もとより地方公共団体自らが、
住民や議会の監視のもとに推進していくべきものであることは言うまでもない。
以上
再度チラシの中より
「地域経済や雇用情勢が急速に悪化する中,私たちは日々の業務を通じ現在の厳しい状況を理解し,
自分たちに何ができるのかを日々考えながら働いています。」
古今東西、あらゆる所で多かれ少なかれ本音と建前が入り混じってしまう社会であるのは、
誰もが認めざるを得ないことではある。
しかし、そのギャップが一番あってはならないところが、行政であり、全体の奉仕者のはず。
この件は、多くの自治体がいかに「建前で」住民を翻弄しているか・・といういい例に見えるのは私だけではないだろう。
ほんと、「本当に」本当のところを知らせてほしいものだ。
あ、視察研修の移動中、酒を飲んでもないのに、飲んだぞ!と幼稚な嘘をいい、
教育長代行および市長をを陥れようとしたのはだ〜れ?




