阿久根を変えるということ
実は、議員定数削減案が今の市議会で成立できるとは考えていなかった。
私は議会の本当の姿を市民に知ってもらう道具として提案した。
私が議員の時に提案した浄化槽管理費削減の決議案にまで反対した市議会である。
今回は定数削減に反対、浄化槽管理費削減の規則改正にも反対、
市民に駐車場を確保する事にも反対、手数料値下げ案にまで反対してくれた。
予想をはるかに超える反応をしてくれている。
議員たちが自らの値打ちをとことん下げて市民に覚醒の機会を与えている。
私は阿久根市議会議員達に感謝している。
この市議会でなければ阿久根市民を変えることはできない。
阿久根を変える事は阿久根市民を変えることである。
今の議員は市民を変えるためのテコの支え、議案は議会を利用して市民を持ち上げる為の重しだ。
議員達がヘリクツをこね回して反市民的な態度をとるほどに阿久根市民の気付きが早くなる。
この仕掛けをどれだけの市民が見抜く事が出来るだろうか。
多くの市民にはわからないだろう。それでも構わない。
仕掛けの事まで解かろうが解かるまいが阿久根市民が自立し、手をつなぎ、
住みよい阿久根を作っていけるようになってくれればそれで良い。
区長会に嫌われるような事までする私のようなバカモノが市長に当選する事はもうないだろう。
4年後の当選さえもあやしい。選挙は市民の暮らしを守る方法としては、全く当てにならない。
たとえ、市民を上手に騙し、裏切り、無視して金儲けをするような賢い人間が市長になっても、
全体の暮らしを守り続ける事が出来る阿久根市民に早くなっていただきたい。
それが私の本当の願いだ。
肩書きや財産が無くても安心して暮らせる阿久根で、
その日暮らしを楽しめるように早くなりたいものだ。
業界、メディア、役人、政治屋の癒着
韓国でパチンコが法律で禁止されたようだ。
http://pachinkokouryaku.fc2web.com/kinshi.htm
この事を日本のメディアは全く報道しない。
メディアはパチンコ業界から宣伝料を受けているので報道できない。
NHKは公共放送ということであるが、
政治屋がパチンコ業界からカネをもらっているので報道させない。
役人はメディアと手をつなぐ事で国民を欺き続けなければならないので余計な事はしない。
国民は真実を隠されたうえに騙され、利用され続けている。
私は浄化槽管理費の軽減を目的に規則の一部を改正した。
これまで独占を保護されてきた2社が県の組織などを動員して激しく反発をしている。
市議会では 蜜柑議員が「法律違反だ」 木下議員が「既存の業者さんに頭をさげろ」
などと改正に反対する立場からの質問をした。このことは繰り返し市民の皆様にお知らせする。
来年の議員選挙がたのしみだ。
「冷凍いんげん」傷害事件について
冷凍いんげんに農薬が注入されていた件について、農林水産省が対策の主役のように扱われている。
大量に販売されている商品のたったひとつに毒が注入されていた。
この事実からとるべき対策は同種の商品を店から撤去して
大衆の安心を確保したかのようにすることではない。
とにかく注入した犯人を特定する事である。犯人の狙いを考える必要がある。
たった一つの袋に注射器で毒を注入したことでどんな影響が出たかを見ればよい。
メディアが中国産商品である事を強調した。同商品の撤去をさせた。
販売企業が損害を受けた。
中国生産工場のコメントを発表したが、国民の中に中国製品への不信感が高まった。
おそらく中国製品の輸入減少につながる。日中関係にも悪影響が出る。
本当の犯人はこれによって利益を得る可能性がある者や組織だ。
今までの農水省主導の対応は基本が間違っている。
これは本来、事故ではなく、傷害事件として扱われるべきものである。
私はおかしな反応をしている政府とメディアを疑う。
毒入り米の件にしても捜査が手ぬるい。
犯人の可能性が高い者達が自分で捜査するのだから、そもそもお話にならない。
警察や検察と農林水産省に癒着の疑いがある。公務員同士はたいてい守りあうのだ。
道の終わり
16日の夕方、「高級車に乗った多くのヤクザが市役所に押しかけて来たらしいが。」
という電話があった。
高級車かどうかは確認しなかったが、確かに多数のお客さんが市役所まで来た。
私に面会を求めてきたのは鹿児島県の浄化槽管理の組合代表だった。
浄化槽管理費の軽減を目的にした阿久根市の規約変更の撤回を要求しに来たのだ。
集まり始めたのを見て、どんな事をしてくれるのか楽しみにしていたら、
市長室に入って来たのはたった3人。どの顔もヤクザとは程遠い。
話の流れ次第では脅迫くらいはしてくれるかと期待したがそれもなかった。
こちらは気持ちの準備が出来始めていたのに、空振りだった。
一般質問では的場議員からチンピラ呼ばわりされてしまったが、私は喧嘩が嫌いではない。
自分を追い詰めてくれる相手に好感を覚える。感謝したいくらいだ。
追い詰められた時に湧き出てくる力が実に楽しい。自分が楽しんでいるので、
相手もそうだと思って挑発すると、周りから止められてしまう。
「おまえ、刺されるぞ」と心配してくれる友人も居る。
私は本気で、全てをかけて闘いを挑んでくる相手が欲しいと思う。
究極の所で何かを見つけることができるような気がしてならない。
「朝に道を知らば、夕べに死すとも可也。」という気分だ
私は人生を早く終らせようとしているだけなのかもしれない。
バカは長生きするという話もある位だから、結構長生きしてしまったりして(笑)
考えてみれば議論についても同じような感じだ。
私は相手を打ちのめしてしまおうとしているのではない。究極の所を感じ取ろうとしている。
そもそも、自分を守る為にとか、自分の利益を目的に話そうとするような人間は
議論する相手としては面白くもない。くだらない。
私が求める議論は知識比べや知恵比べでもない、人間から出てくる究極の真実、愛だ。
自分の奴隷
一般質問で「あなたの政治姿勢は右なのか左なのか」などと社民党議員から聞かれた。
「右か左か、そのような分類は私には当てはまらない。」と答えた。
その前の質問で彼は私が憲法改正問題について
社民党と同様の考え方を持っていることに対して「立派な考えだ」などと評価した。
自分が所属する政党と同様であれば正しいという発想はいかにも貧しい。
この状態は、最終的に自分の為になるようにしか頭を使う事ができない事を意味する。
自分の奴隷だ。
他の議員の質問にも気になるのがあった。
「交付金などで陳情する立場の市長が、施政方針で国の批判をしてはいけない。」というものだ。
国の誤りは正す事を求めるのが当たり前の態度。
交付金欲しさに何でもかんでも従属するようでは話にならない。
私はどこまでも市民を守ろうと考えている。デタラメな事をする国であっては困るのだ。
自分の奴隷であっては、結局誰も守る事ができない。
感性との葛藤
YouTubeで岡村孝子の「夢をあきらめないで」という曲をかけていたら、
画面をじっと見ていた5歳の娘が「聞いていると涙が出てくる」と言う。
この曲は市民懇談会の前にもかけたのだが、
聞きながら自分も涙が出そうになる事がある。
何がそうさせるのかわからない。自分の気持ちはどこまで自分で操作できるのか、
それも分からない。
いちばん解かっていそうで、ほとんど解かっていないのは自分の気持ちのようだ。
どこまでも不可思議、だからこそ挑戦しがいがある。
私が本当に戦ってきた相手は他人ではなかった。おそらく、
今やっている事も自分の感性との葛藤だと思う。
YouTube「夢をあきらめないで」
http://jp.youtube.com/watch?v=PW_kP5uwp7A&feature=related
轟音と振動
最近、ジェット機の超低空飛行を想像させるような轟音や振動がある
という情報が複数の方から届いている。
自衛隊か米軍だろうが、何か特別な(違法な)訓練をしている可能性がある。
時刻と場所等が特定できれば犯人探しも簡単なのだが。



